荒巻義雄全集の月報に注目(加清純子に言及と)

彩流社のブログによれば、2014年11月より、加清純子、渡辺淳一と同期だったSF作家荒巻義雄の作品集『定本 荒巻義雄メタSF全集』(全7巻)が同社から刊行されるとのことです。 この第1回配本「白き日旅立てば不死」は加清純子をモデルとした「加能純子」が登場しますが、この第1回配本に付録する月報について彩流社のブログには次のように記さ…
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「加清さん作品 いまどこに」2014年8月27日 北海道新聞夕刊

「阿寒に果つ」モデル 命を絶った天才少女画家 加清さん作品 いまどこに 回顧展構想 実弟「ぜひ展示を」 「天才少女画家」と呼ばれ、将来を嘱望されながら18歳で自殺した札幌生まれの画家、加清(かせい)純子さんの弟で詩人の暮尾(くれお)淳さん(75)=本名・加清鐘(あつむ)、東京在住=が、加清さんの描いた絵を探している。道内の…
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9月2日放送 もうひとつの「阿寒に果つ」~氷の自画像を尋ねて~

渡辺純一の小説「阿寒に果つ」で、モデルとなった「加清純子」に関するドキュメンタリーが、放送されること別頁で紹介していました。 http://artemisia.at.webry.info/201408/article_1.html このほど、詳細が公表されました。 CS TBS2 で(2014年)月2日(火) 午後7:00…
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放送予定: もうひとつの「阿寒に果つ」~氷の自画像を尋ねて~ TBS-2

ドキュメンタリー「もうひとつの「阿寒に果つ」~氷の自画像を尋ねて~」がTBS-2で放送されることが発表されました。放送日はまだ未定のようですが、2014年9月に放送されるそうです。 http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/i0112/ 渡辺淳一作「阿寒に果つ」のモデルとなった、札幌南高校在学当時…
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加清純子が在学当時の北海道庁立札幌高等女学校

加清純子が、札幌南高校に学区再編に伴い転校する前には、札幌女子高等学校(前身 北海道庁立札幌高等女学校、後身 札幌北高等学校)に在学していました。 入学後約4年間在学した北海道庁立札幌高等女学校の写真は、札幌北高等学校の在東京同窓会である「東京楡の会」のページで見ることが出来ます。 http://tokyo-nire.com…
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加清純子の絵に描かれた白い花

加清純子作「厚田付近漁場風景」が描かれた場所については、すでに別項で2度にわたり記しました。 この絵が描かれた場所について改めて記したいと思います。 加清純子作「厚田付近漁場風景」 石狩市厚田区別狩にて 現在の厚田で、「厚田付近漁場風景」と同じになるように写真を撮影してみました。 …
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渡辺淳一の別荘 と 加清一家の出身地

「阿寒に果つ」の作者である渡辺淳一氏がスゥエーデンヒルズに別荘を構えるにあたり、「阿寒に果つ」のモデルとなった加清純子の家族の出身地が、その隣接地であることを知らなかったということはないでしょう。 渡辺淳一氏にとって、スゥエーデンヒルズにいるということは、加清純子の存在を思い出すことにつながっていたと推測しています。
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岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて(東京都写真美術館)

東京都写真美術館「岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて」という展覧会に行ってきました。 「岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて」という展覧会が始まりました。 この展覧会は2014年7月19日(土)から9月23日(火)まで、恵比寿にある東京都写真美術館の3階で開かれています。 私は、加清純子とのかかわりの視点で、…
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ルドルフ・シュタイナー展 天使の国(ワタリウム美術館 南青山)

南青山のワタリウム美術館で2014年8月23日まで会期を延長して、ルドルフ・シュタイナー展が開かれています。 ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)は、神秘主義者で、建築・デザイン・絵画・教育に対する影響で知られています。 私がルドルフ・シュタイナーを知ったのは、高校時代の友人を通じてで、どちらかといえば神秘主義の系譜の中…
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我が家の古い写真 鰊漁場・自動車ナンバー「北 1」号など

私の母方家系をたどっていくと、松前藩のころ北海道に移住した一家につながります。伝わっている写真の中には面白いものもあります。最近、見直す機会がありましたので、この中から何枚かを紹介してみようと思います。家系をたどると、天保年間までさかのぼりますが、写真として記録が残っているのは当然明治期以降のことになります。 一枚目は、現在の苫前…
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ブログのアクセス数から見て知ったこと。

渡辺淳一氏の死去が報道されて以降、このブログへのアクセス数が急増しました。 しかし、実際のところこのブログへのアクセス数は、死去の報道以前から変化を見せていました。 この変化は何だろうかといぶかしく思っていたところに、渡辺淳一氏死去の報道がされました。 「人のうわさも75日」「去る者は日日に疎し」といいます。 そろそろ6…
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北鎌倉の喫茶「笛」と古楽と尾崎喜八・高村光太郎

アジサイで有名な北鎌倉の明月院をたずねると、明月院からさらに明月谷戸をしばらく歩いたところにある喫茶「笛」を思い出します。思い出すだけで、もう長年足を運んでいなかったのですが、おそらく30年ぶりくらいにたずねてみました。このお店には、バロック音楽が好きな人が集っていた店で、高校生から大学の頃に何度か足を運んでいました。 何…
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純子の父 加清保の社会的評価(受勲等)

渡辺淳一は「阿寒に果つ」の「蘭子の章」で語り手に次のように「時任純子」の父 「勝一」について語らせている。 ----------------------------------------------------------  父の勝一は市の教育委員までした高名な教育者であったが、それだけに 家庭では厳しい父親であった。それも…
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渡辺淳一氏の純子終焉の地への訪問

阿寒に果つを執筆するころに、渡辺淳一は加清純子が亡くなった場所を訪れていることは随筆で何度か触れられている。この他、渡辺淳一は、札幌医科大学卒業後間もなく阿寒湖に近い雄別にあった雄別炭鉱病院に派遣されていたともしばしば書いている。しかし、純子終焉の地へ渡辺淳一が初めて訪れたのはいつだったかの言及は、おそらく「みずうみ紀行」の「阿寒湖」に…
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加清純子在学当時の校章 結晶

別な項で「渡辺淳一氏の死を悼む 水晶体・六華 芸術の毛皮」というタイトルで、渡辺淳一が「阿寒に果つ」で加清純子の物語を「結晶」「多面体」に例えたことと、札幌南高等学校の校章「六華」(雪の結晶)との関係を指摘しました。 渡辺淳一や加清純子が在学した当時、つまり「札幌第一中学校」が「札幌第一高等学校」をへて「札幌南高等学校」に変わった…
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菊池又男 「秋郊(阿寒)」 1950 

菊池又男は主として抽象画を描いていますが、「秋郊(阿寒)」という風景画を描いており、1950年の作と言われているそうです。加清純子が、菊池又男と共に、阿寒・弟子屈などへ写生旅行に出かけたのは、1949年だったと推定され、時間的近接を考えると、加清純子とともに写生旅行に出かけた時のスケッチなどを基に作成されたものの可能性があると推測します…
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札幌南高校図書局による渡辺淳一氏へのインタビューから

加清純子の死と「阿寒に果つ」が札幌南高等学校どのように受け止められたかを渡辺淳一氏の追悼文を通じて知ることできる。その一つとして、札幌南高等学校第43期卒業生の常見陽平氏(評論家、コラムニスト、杏林大学・千葉商科大学・武蔵野美術大学非常勤講師)の記したエピソードを紹介したい。 この記事から、札幌南高校の校風と、それでもなお渡辺淳一…
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渡辺淳一氏の死を悼む 水晶体・六華 芸術の毛皮

「阿寒に果つ」の作者である渡辺淳一氏が、平成26(2014)年4月30日午後11時42分に亡くなったと、本日5月5日に各報道機関から報道されました。80歳であり、前立腺がんのためのご逝去とのこと、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 今後、渡辺淳一氏の追悼文が、さまざまな方によって書かれることと思います。その中で、渡辺淳一氏に関わる…
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青銅文学 主要同人 寺山修司、谷川俊太郎、岸田衿子他

札幌南高等学校の在学生を中心として1950(昭和25)年に創刊された「青銅文学」は、その後1967(昭和42)年まで、樫村幹夫により断続的に出版が続けられた。加清純子の名前は19巻まで見られるが、この19巻には寺山修司の「椰子の木影で」という作品が収録されている。 青銅文学に収録された作品の作者には以下のような、著名な人物の名前が…
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加清純子が書いた小説 と 暗黙の黙秘共同

「阿寒に果つ」のヒロイン時任純子のモデルとなった加清純子自身が小説を書いていることは、語られません。 その物語に、加清純子自身の経験なのではないかと思わせる部分が多く含まれている。 そんなことも、もちろん語られません。 饒舌な渡辺淳一もかたらず、加清蘭子も語らず、北海道新聞の記者も語らない。 資料に、何人もの人が触れ…
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幻の景勝地 釧北峠 (旧釧北峠)

昭和40年代に付け替えられるまで、国道240号線(旧道)の釧北峠は、阿寒湖と雄阿寒岳を一望できる景観の優れた場所として有名な場所でした。阿寒湖畔から北見相生駅までの間は路線バスが運転されていて、釧北峠でこの景観を楽しむことが出来ました。この場所からの景観を使った絵葉書は多数残されています。 (釧北峠より雄阿寒岳の展望 (阿寒国…
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阿寒の自然と開発 景観、硫黄鉱山、送電線、林業、温泉

阿寒国立公園は、昭和9年 国立公園法が制定された後、2回目の指定の際に国立公園に指定されました。 加清純子がたどった道、訪れた場所を理解するために調べる過程で、阿寒の自然は偶然に今あるのではなく、開発と保護の合間で揺れ動き、現在も保護と利用の間で変化していることを知りました。 (林業)  明治39年前田正名が阿寒湖畔の国有…
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加清純子の足跡を追って(なぜこの時に、なぜ阿寒で釧北峠なのか、なぜ凍死なのか)

 (このページは、私の評価を多く含む記述から構成しています。)  渡辺淳一は「阿寒に果つ」の語り手である田辺俊一により時任純子に対する思いとして「あの死は同情するどころか憎んでもいい。 あの死は驕慢で僭越な死ではなかったのか。 すべてを計算しつくした小憎らしいまでに我儘な死ではなかったのか。」と語らせることで、加清純子の死にたいす…
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加清純子の足跡を追って(雪の中の死 小説と現実)

・加清純子が失踪して62年目にあたる、2014年1月22・23日に純子の足取りを現地で追いました。 -加清純子の足跡を訪ねて(1月22日) -加清純子の足跡を訪ねて(1月23日 その1) -加清純子の跡を訪ねて(1月23日 その2) -加清純子の跡を訪ねて(雪の中の死 小説と現実) --------------------…
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加清純子の足跡を追って(1月23日 その2)

2014年1月22日から23日にかけて、加清純子の足跡をたどり、雄阿寒温泉付近から阿寒町尻駒別付近を訪ねてみました。失踪した1952年1月23日から62年目の日になります。 ・加清純子が失踪して62年目にあたる、2014年1月22・23日に純子の足取りを現地で追いました。 -加清純子の足跡を追って(1月22日) -加清純子の足…
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加清純子の足跡を追って(1月23日 その1)

 2014年1月22日から23日にかけて、加清純子の足跡をたどり、雄阿寒温泉付近から阿寒町尻駒別付近を訪ねてみました。失踪した1952年1月23日から62年目の日になります。 -加清純子の足跡を追って(1月22日) -加清純子の足跡を追って(1月23日 その1) -加清純子の足跡を追って(1月23日 その2) -加清…
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